霧の月 3

私、瀬川裕一は退院後も大事をとって暫くは青海中央総合病院に通院していたが看護師の浅田聡子に会うことはなかった。私には三歳違いの妹がいたが父と母は既に亡くなっていた。私はその頃若狭海岸沿いの那覇市営住宅の近くの小さなアパートに一人で住んでいた。若狭海岸に打ち寄せる波が良く聞こえていた。私はその時までに二度結婚していたが、いずれも私の原因で離婚していた。子供は無く父親と呼ばれる事はなかった。私には何の取り得もなくただ毎日を過ごしていたのであった。地方公務員になれたのも皆が不思議がった。ただ面接試験の時に好きな本を聞かれた。私はシュバイツァーの生命の畏敬だと言った。これが効いた。面接官がいたく感動していた。そういう事もあって部署は医療福祉関係に回されていた。職場についてはおいおい書くことにする。 つづく

霧の月 2

私、山瀬裕一は六年前の春先のある日、勤務先の昼休みに体内に激痛が走り直ぐに那覇市内の新都心にある青海中央総合病院に行った。診断は胆石の症状がひどく即入院だった。主治医の遠藤医師により翌日内視鏡による胆石の手術を受けた。五階の内科病棟で五日間入院した。その時の内科病棟で浅田聡子には初めて会ったのである。勿論、患者と看護師としてである。入院中なにかと世話になった。遠藤医師が肝臓の検査値が正常値に近いので明日退院しましょうかと言われた時は嬉しくて涙が出た。退院の日、浅田聡子が退院出来て良かったですねと云い薬を渡された。その後再発もなく過ごしていた。青海中央総合病院に入院したのも、甲府に行ったことと目に見えない糸で繋がっていたのであろうかと今では思うのである。 つづく

霧の月 1

私、山瀬裕一は先月四十七歳の誕生日を迎えていた。それは五年前の初秋の山梨県甲府近郊での思わぬ事に遭遇したことからこの話は始まるのである。その前に私がどうして甲府に行ったかを少し書いておく。私は沖縄県で生まれ育った。高校卒業後地方公務員として働いている。二度の離婚歴がありうだつの上がらない男である。私のことはおいおい書く事にするが、甲府でのある事に遭遇して以来ここ五年余りかなり緊張した生活を余儀なくされていた。 つづく

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